障害を持つ父について

父が急逝してもう19年。享年57才でした。

原因は、脳内出血で日頃のアルコール依存症からです。

父は青森県西津軽郡森田村で生まれ育ち。

そこで幼い頃、階段から転げ落ちてしまい片側の骨が10㎝以上食い込んでしまうという下肢機能障害、
そして原因は忘れてしまったのですが、上肢ゆびの障害をかかえていました。

毎日のように小学校の帰り道、いつもいじめっ子に田んぼわきの用水路に落とされ、びしょびしょになって泣きながら家路に着いていたことを父は話してくれていました。

父が家に居る時にアルコールを飲みながら、中学生位の頃に聞いていたと思います。

父は「理恵子、お父さんは手術しなくていいのか?」
自分が障害者ということで私がいじめにあっていないか心配していたのかもしれませんね、何度か私に聞いてきたことがありましたが、私は歩行が普通の人と同じになろうがなるまいが父に代わりはない
と思っていたので「手術しなくてもいいよ」と伝えていました。

私自身虐めにあったことも虐めに加わったこともなく、あらゆる類の人と交わっていたという子でした。
ある時はアニメ大好き少女と言葉を交わせば、翌日にはヤンチャな子たちと交わっていたりという感じ。

それよりも私は普段、物静かな父がアルコールをひっかけると途端に変わる豹変ぶりが怖かったんですね。
加減はしてたのでしょうけど、頭にでかい栓抜きがガツンッ!とくるんで、たんこぶが絶えなかったですよ~

そんな一面もある父でしたが、普段は放射線技師として医療に従事しているという人でした。

前にも書きましたが素面の時の父は、物静かでとても穏やかで所作の美しかった人。
ムツゴロウさんみたいに動物が大好きだった人。

なんだろう
振り返ると、母が一年中食堂経営に奮闘していたもんだから、父は父に出来る私への最大の愛を注いでくれていたんだなぁと思います。ですが当時の私は、そのことに気づく余裕は全くありませんでした。

とにかく、まだアルコール依存度の低かった時期に撮った私の幼少の頃の写真の量がやたらと多い。

母がお店を経営する前の頃までの写真は、自分の記憶にないので見ていてもなんだか夢のよう 笑

観覧車の前で2歳くらいの私が母手作りのお揃いの洋服で写る写真や、大阪万博でのお揃いの洋服で写る写真ect。写るほとんどの着ている洋服が母のハンドメイド。

母と父の愛で溢れている。

あらま、ちょっとそれちゃった。

父は青森生まれだったのに、よくもまぁ一人東京に出てきたもんだなぁと思うのです。

好奇心もあったのだろう。

身体のハンデよりも自由を選んだのだろう。

でも

自分で選んだ道は
決して後悔しない。

そして現役、医療従事者としてこの世から卒業。

納得のいく生き方だったかどうかは父に聞いてみないとわからないけれど、

本当に美しい死に顔でした。

自由というチャレンジを選んだ父に感謝です。

だから今の私が居てて、わおん大吉の家が存在している

私にとってとても大事なメッセージを今でも伝えてきてくれていると感じながらの日々です。

そして周りの皆さんに感謝ばかりです。こんなことってあるのかーーー??ってことばかり。

父や母を受け継いで、好奇心旺盛な大吉母さん。

人 動物

みんな繋がってるなぁ

と、しみじみ思うのです。

ありがとう~~~

ありがとう~~~~~

 

 

 

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